9月18日更新 読書の秋に、コレクター魂を一冊。スポーツカーレーシング Vol.24』入荷しました

こんにちは、梅田本店です。

今回ご紹介するのは、ロムではおなじみのこちら。

Sports-Car Racing スポーツカーレーシング Vol.24
Part.4 スポーツカーの皮を被ったF1/Another Story of Part.1
品番:SCR24  入荷しました。

正直に言います。めちゃくちゃマニアックな本です。書店でパッと手に取る人、たぶんおん。

でもロム、この本ずーっと取り扱ってるんです。なんでか? そういう店やからです(開き直り)。

今回のVol.24、大きく2本のストーリーで構成されてます。


 Part.4「スポーツカーの皮を被ったF1」

話は1970年代後半から。
ロータスがF1で実用化したウイングカーが、あまりに速すぎて──速くなりすぎたがゆえに事故が続出し、F1は1982年限りでウイングカーを禁止しちゃいます。

そして同じ1982年、燃費でスピードを縛る新カテゴリー「グループC」が誕生。
日本では「燃費規制のレース」って印象ばっかり残ってますけど、実はこのときの最低車重、たったの800kg。デカいアメリカンV8やポルシェのターボじゃ、ルール守ってたら800kgなんて到底無理。しかもポルシェの水平対向はエンジン幅が広くてウイングカー向きじゃない。

そこに目をつけた連中がいた。
「F1と同じ、軽くて幅の狭いフォードDFV積んだらええやん」と。
そうして生まれたのがフォード C100。1982年最終戦ブランズハッチで、圧倒的な速さを見せつけます。

そこから9年。
1991年、トム・ウォーキンショーが本当の意味で”スポーツカーの皮を被ったF1″を世に放ちます。それが TWRジャガー XJR14。F1用のフォードHB V8を積み、車重はわずか750kg級。ロス・ブラウン設計のこのバケモノは、デビューから他を寄せつけず1991年の世界スポーツカー選手権を制覇。まさに”皮を被ったF1″のピークでした。
(ちなみにこのXJR14、後にマツダMXR-01になり、さらにTWRポルシェWSC-95へと化けて、ルマンまで勝っちゃう。血筋がえぐい。)

AnotherStory of Part.1 ─ ツインカム誕生の”£1 か £1,000 か”

もう一本は、本来Part.1に載るはずだったアルファロメオとフォードの話。
個人的にはこっちのエピソードがたまらん。

1961年、フェラーリと決別したフォードは「自分の手でルマン獲る」と動き出します。同時に、ディーラーで売ってる普通のクルマでツーリングカーレースも獲ろうと画策。ここでロータスと組んだのが「コルチナ・ロータス」計画でした。

博打打ちのコーリン・チャップマンは、友人のエンジニア、ハリー・マンディに開発を依頼するんですが──お金がない。
そこでチャップマン、こんな条件を出します。

「エンジン1基作るごとに £1 か、いま即金で £1,000 か、どっちがええ?」

マンディは「ロータスが1,000台も新車売れるわけないやろ」と踏んで、即金£1,000を選んだ。
…結果、コルチナ・ロータスはジム・クラークの活躍で大ヒット。もしマンディが「1基£1」を選んでたら、いくら手にしてたんやろか。想像すると夜眠れなくなるやつです。

こうして生まれた「ロータス・ツインカム」に、ライバルたちは対抗策を練ります。
過激な労働運動でレース参加を避けてたアルファロメオでは、エンジニアのカルロ・キティが会社に隠れて「アウトデルタ」を設立。ジュリアTZ(Tipo105-11)という事実上のプロトタイプを進めますが……登記した翌日に社長ジュゼッペ・ルラーギにバレる(笑)。
それでもキティの説得でTZは認められ、さらに「コルチナ・ロータスに勝てるツーリングカーを作れ」と号令。そこから生まれたのが、あの名車 ジュリア1600GTA(Tipo105-32) でした。

一本の賭けから名エンジンが生まれ、それがGTAまで繋がっていく。
この壮大な流れ、ミニカー並べながら読むと最高です。

で、ロムはなんでこの本を推すのか

うちに並んでるSparkやらMinichampsやら、その一台一台の背景に、こういう物語がびっしり詰まってます。
スペック表を眺めるのも楽しいけど、「なんでこのクルマが存在するのか」を知ると、棚のミニカーが急に喋り出す。SCRはそれを教えてくれる、数少ない本なんです。

万人受けの本ではないことは百も承知しています。しかし刺さる人には思いっきり刺さる。フォードC100、ジャガーXJR14、コルチナロータス、ジュリアGTAの名前に反応した方には、かなり危険な一冊となっております(笑)